草野心平 |
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天山文庫の中 草野心平は、この椅子に座って庭を眺めるのが好きだった。 |
聞き書き−草野心平と秋元卓三さん秋元さんが草野心平と出会ったのは、昭和28年頃、25歳位のときだといいます。 当時、村役場職員だった秋元さんは、自宅が天山文庫のすぐ近くということもあり、心平先生とも親しくなっていったそうです。秋元さんのお母様は長福寺・矢内俊晃和尚のお姉様なので、和尚さんは、叔父にあたります。そのため、心平先生とお会いする機会も多かったのです。 秋元さんは、自宅が天山文庫のすぐ下にあるので、奥様が作った夕食のおかずを持っていくこともあったそうです。 「心平先生はどんな食べ物が好きだったのですか?」 「先生は野菜が中心のものが好きで、量は少なめでいいが、おかずの種類が多くないとダメなんだ…いろんな種類のおかずを少しづつ食べるのが好きだったんだな〜。」 天山文庫にいる時は、毎朝5時に起きて、周辺を散歩し、7時に朝食を食べる。新聞を読み、庭や池、樹木の植替えと整備、鯉に餌をやり、詩作活動をし、夕方5時には仕事をやめる、という規則正しい生活をされていたそうです。 「心平先生は、『天山文庫に来ると体の調子が良くなる』と、口ぐせのように言い、天山文庫が心平先生にとって憩いの場所だった。」と、秋元さんは当時のことを振り返ります。心平先生の身近にいた、秋元さんならではのエピソードです。 秋元さんは、天山文庫の木の植え替えや心平先生の病院の送り迎えなど、まるで家族のように身辺の世話をされたのだそうです。ですから、晩年、病気で東京の病院に入院した際に、心平先生が「天山へ行きたい」と強く希望されたのが分かります。 東京に帰る日の直前、寝室のベットで心平先生は秋元さんの手を強く握りしめ、離しませんでした。秋元さんは、心平先生に「帰りたくないのですか?」と聞くと、強く訴えるようにうなずいたそうです。秋元さんは、その表情が今でも忘れられないといいます。結局、その日に帰る予定を3日間遅らせたそうです。 天山文庫が、心平先生にとって本当の「帰る家」だったのかもしれません。その半月後に、心平先生は亡くなりました。最後に「帰りたくない」と言った心平先生。天山文庫と草野心平、川内村の人々との間に強い絆を感じます。
取材日 平成16年2月(川内村商工会N)
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